南三陸町震災ボランティア
2011年 7月16日〜18日、福祉活動部代表3名で、南三陸町へ震災ボランティアに行きました。
本校生徒会を中心に、生徒9名と教員3名で、志津川中学校へ募金を届け、交流をするメンバーに入れさせていただきました。
仙台駅に着いた時は、普段見ている町並みとかわらなかったのに、
沿岸部の南三陸町に入ると、テレビで見たような光景に変わり、衝撃を受けました。
震災後4ヶ月しか経過していない頃で、志津川病院・防災庁舎等、町の風景は震災直後の爪あとがそのまま残っていました。
本体の生徒が、現地を視察し、中学校との交流行事に参加している間、
福祉活動部の生徒は避難所の託児所で、保育と託児所手伝いのボランティアを行ないました。
現地についた時、託児所の方が、「長い時間の移動でつかれたでしょう。」と声をかけてくださいました。
私らなんかより、はるかにしんどい思いをされているのにと思いながら、嬉しかったです。
こども達とは、託児所にあるおもちゃや、私達が神戸から準備していったグッズで遊びました。
中でも、福祉活動部でよくやる工作は人気でした。
車のおもちゃで遊んでいる時、4〜5歳の子が「ガソリンは今ないんだよ。」と言ったので、とても複雑な気持ちになりました。
また、カードゲームをしている子に、「他にどんなカードがあるの?」と聞くと、
「前に遊んでいたカードは全部流された。」と答えたので、胸が痛くなりました。ランドセルも流されたのでしょうか。
避難所ではみんな同じかばんを持っていました。
それでも、託児所や避難所のこども達は、本当によく笑っていました。
震災で失ったものは、私達に想像できないもの。心に負った傷は、並大抵のものじゃないことは分かります。
そんな中、いつまでも落ち込んでいる訳にもいかないと分かっているのか、こども達が強く見えました。
私達はお手伝いに行ったけれど、たくさんの笑顔と元気を逆にもらって帰ってきた様に思います。
2日目の夜、満月と絵に描いたように照りかえる穏やかな海を見て、悲しくなりました。
こんなに穏やかな海が、あの時のあの一瞬で、家も思い出も日常も、そして尊い人の命までもをさらっていたこと・・・。
最後に、ひとつ感動したこと。ひまわり。
被災地では、ポツン、ポツンと、ひまわりが太陽に向かってしっかりと咲いていました。
種も植えていないのに、自力で咲いてきたそうです。
地震や津波に負けるものかと働く地方から来たボランティアや警察官。
そして、何より毎日を強く生きる被災者の方々。そんな方々とふれあって、
何があっても前に進んでいくことの大切さ、つらくても乗り越えていく強さを教えていただきました。
今後は、「強さ」だけでは済まされないようなもの、「その人でないとわからない心の傷」、「生活への不安」など・・・、
違った形で多くの人が、悩んでいくことになるのかもしれません。
私達は大学生になっても社会人になっても、この先長くボランティア活動に参加して、見守っていけたらと思います。